去る5月21日、登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さんが8回目のエベレスト登頂に挑戦中、下山時の事故により帰らぬ人となりました。
私はネットニュースでこの第一報を知り、ものすごく驚いたとともに、とてもショックを受けました。
以前から、登山家である栗城さんのことはニュースやテレビ番組を通じて知っていました。
何度も何度もエベレスト登頂に果敢に挑み、2012年の挑戦時には凍傷で手の指の9本を失うという非常に過酷な結果になりながら、それでもエベレスト登頂の夢は決してあきらめず、2014年にはブロード・ピークの無酸素、単独登頂に成功していたそうです。
(ブロード・ピークとは中国とパキスタンの国境にある、世界第12位、標高8,047メートルの山の名前)
そこまで過酷な状況に追い込まれることもある登山のなにが人を惹きつけてやまないのか?
正直、私には理解することは出来ませんが、指を9本失ってもなお、挫けることなくエベレスト登頂に挑み続ける栗城さんの生き様は、どこか「目の前に大きな壁が立ちはだかっていようとも夢を追い続けることが出来る、人間の素晴らしさ、幸せさ」を体現しているように思えて・・・・・
いつか必ずエベレストの登頂に成功して、彼の目指す高みに登り詰めてほしいなと、陰ながら応援していました。
そんな夢を追い続けていた最中での、今回の訃報。
本当に言葉も出ないくらいショックで、私は異国のホステルでパソコンを見つめながら「うそ?」とつぶやくのがやっとでした。
栗城さんの事務所がブログで「生きて帰ることを誓っておりましたのに、このような結果になり大変申し訳ございません」とコメントしていたのをみて、よりやるせない気持ちでいっぱいになりました。
「生きて帰ることを誓う」この言葉がずっしりと私の心にのしかかってきて、あらためて今、自分がしている世界一周旅行というものに対しての「自分に課された責任」というものを感じずにはいられません。
実を言うと、私は今回、この世界一周の旅をスタートさせる直前までは「もし万が一のことがあったとしても、それは全て自己責任だと思っているし、そういう結果がたとえ待ち受けていたとしても甘んじて受け入れる」という覚悟をもって、この旅に挑む思いでした。
ところが、長期にわたる世界一周旅行を続けるにつれ、要所要所で「私がこの旅の直前に抱いていた【どうなっても仕方がないし構わない。それ以上に私は世界一周という夢を成し遂げたいんだ】という思いは、【万が一のことを想定した覚悟】ではなくて【単なる破滅的で自分勝手なエゴ】なんじゃないのか?」と思い始めてきたのです。
それはなぜかというと、もし私がこの世からいなくなってしまったら悲しむ人たちがいるからです。
人様に比べたら、決して人数的には多くないかもしれませんが、それでも私の兄弟や友人、親戚や知人、何よりも私の両親は、絶対にそんな結末を望んではいないはずです。
せっかく日本にいるみんなが快く私を笑顔で送り出してくれたのに、それっきり、もう二度と会えない事態になったら、彼らは一体どう思うのでしょう?
そう考えると、私が出発直前に抱いていた思いは「覚悟」でもなんでもなく、単なる利己的な「破滅的思想」なんではないかと思うに至り・・・・・
旅の最中に、何度も何度も「絶対に生きて還る」「それこそが世界一周という私の身勝手な夢をかなえてくれた日本にいるみんなへの責任だ」と思い直すようになりました。
そのような中での、この栗城さんの訃報は本当にとてつもなく私にとってショッキングな出来事でしたし、より強く「生きて日本に戻ることは絶対的な私の責務である」と感じています。
栗城さんと直に関わったことがない私でさえも、これだけの衝撃と哀悼の念を抱いているのだから、もし私が生きて日本に帰ることが出来なかった場合の自分の身内や友人、知人のショックは計り知れないものだろうと思ったのです。
本当に栗城さんには謹んで哀悼の意を表します。
結果的に誓いを破ることになってしまった栗城さんの無念を思うと、今も涙が出るくらいに悲しくなってしまいますが、もちろん彼自身は「このような結果になる可能性もある」ということを、おそらく誰よりも嫌と言うほど分かっていたはずだと思います。
それは重々承知した上でなお、自身の夢を捨てられなかったからこそ、エベレスト登頂に挑み続けたんだと想像します。
そのような万が一の覚悟はつねに持ち合わせたうえで、なお「生きて帰ること」を強く強く誓って毎回チャレンジしつづけていたんだと私は思っています。
「エベレスト登頂」という壮大な夢をあきらめてしまうことは、栗城さんにはどうしても出来なかったのでしょう。
このような結果になってしまったことは非常に残念なことではありますが、「ご本人の思い描く人生をずっと生き続けられた」「エベレストの頂上にいるという、なりたい自分を常に目指すことが出来た人生」という意味においては・・・・・
チャレンジを途中でやめてしまう道よりも、本人の満足度はよほどあった一生なのだろうなと思います。
そのことに関して「単なる自己満足だ」「周りへの影響を考えていない」など、ネガティブな意見も多数あるであろうことは想像に難くないです。
しかしながら、あくまでも私個人の意見としては「ご本人として出来うる限りの万全の方法で、今回のエベレスト登頂にもチャレンジしたのだろう」と想像します。
「慣れてきたから、ちょっとくらいなら無理しても大丈夫だろう」などのおごりや注意散漫によって、防げる事故を防げずになった結果であればともかく、万全を尽くしたけれども、それでも不運で不幸な結末になってしまったのであれば、彼を責めるのは違うのかなと思います。
もちろん、私は栗城さんの関係者でも知人でもないので、今回のことがどのようにして起こってしまったのか経緯などを何も知りませんので、勝手な自分の想像でしかないのですが・・・・・
とにかく、今回の出来事に関しては、私だけでなく世界を旅する日本人世界一周旅行者にとって、衝撃的なことだったんではないかと思っていますし、それぞれに色々と思うところがあったんじゃないかなと感じます。
今の私に言えることは「絶対に生きて日本に帰ってまたみんなに会うということこそが、私の「絶対的責務」であり、世界一周旅行に出た私が第一に優先すべき重大事項だ」ということです。
そのことを今一度、肝に銘じて、心により深く刻んで、今後も世界一周の旅をつづけていきたいと思っています。
そして最後に、あらためて心より栗城さんへ哀悼の意を表します。
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